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 ● 第二団  東日本大震災 援助活動 2011年 6月19日〜20日 【営業部 東 ・ MF技術部 舩砥】               
 ● 第一団  東日本大震災 援助活動 2011年 4月26日〜30日 【社長 ・ 総務部長 ・ 他サポーター2名】               



 第二団  東日本大震災 援助活動  6月19日〜20日 【営業部 東 ・ MF技術部 舩砥】

津波で被害を受けた書類の山、
濡れて段ボール毎くずれていた



全ての文書をオリコンに
入れ替える



参加者:在京修復家 1名:奈良県内大学生 1名
弊社社員 2名

平成23年6月19日〜20日 
東日本大震災に伴う津波により水没した文書の修復のため、現地から奈良の作業へ文書を輸送するための搬出作業支援を、在京修復家の指導のもと、奈良県内の大学生、当社社員2名にて行った。

都内を午前中に車で出発。 まずは宮城県の霊地、金華山を遙拝し本震災の犠牲者を弔い、作業の無事を祈る。

道中はアスファルトが割れ、震災の凄まじさを実感する。
街はひと気もなく、文字通り洗われたかのように…。賑やかだった車内も徐々に言葉が少なくなった。

松島の宿に着くと、関東近辺からも復興支援の方々が泊られていた。県外ナンバーが目につく。

翌日、朝からの作業となる。
文書をオリコン(プラ製のコンテナ)に入れ、番号を振る。
浸水から数カ月たち、ほぼ乾いてはいるが、冊子からこぼれおちる大量の砂が海水につかったことを物語っていた。
砂は夏の風に舞い、作業者の体中に…。 帰路途中の温泉で作業の汗と共に皆で流した。

作業も終わり、一路東京へ。
途中立ち寄った松山では、徐々に観光客も戻ってきているようだが、海岸に面した土産物屋では、シャッターがめくり上がり、その威力を思い知った。 名勝、瑞巌寺も落石の危険により立入制限が行われていた。

凄惨な風景は報道等でも見ていたが、何より予想外だったのは「におい」であった。
魚の腐ったにおいが街を覆い、何十羽ものカモメが飛び交う風景。
家が流された地域では、隣家との境界線も曖昧になり、復興の際、記録の必要性を痛感した。 (東)



(別の部署で)
マイラーの水洗い作業をしている様子

大量な砂が風で舞い上がり
目もあけていられないような状況もあった


なかなかの重労働…


修復家曰く 
「心配していたカビは予想より少なかった」 とのこと
 

今回の地震では大量の貴重文書も流され
特にその地方のそこにしかない郷土資料なども津波で失ったと聞いた。

命を失うことは大変に辛いことだが
日本の歴史の一部を失うこともまた大変に辛い。

地震だけでなく、様々な災害や有事に備えて、記録の分散管理の
重要性を改めて感じる。   (舩砥)











 第一団 東日本大震災 援助活動  4月26日〜30日 【社長 ・ 総務部長 ・ 他サポーター2名】


  被災地の同業者訪問 
 (被災マイクロフィルムの修復マニュアルとその用具・中性紙保存箱等の寄付)
 ● 被災資料の修復援助 
 (被災資料デジタルカメラ撮影等 補助作業) (修復家の方々に急遽誘われての援助活動)




26 日 夜 21:30 に新宿本社を出発
27 日 朝  「いざ!」
左 修復家先生   右 社長



27 日 朝 満開の桜に、緊張感が少し和らぐ
左 総務部長



 ●
 27日 朝8:00着

 ・地元同業者へ:
被災マイクロフィルムの修復マニュアルとその用具
・中性紙保存箱の寄付


震災以来、安全であった私たちができることはないか? 
いてもたっても居られず3月下旬から全史料協関連の
東北各県内の知人、記録保存諸団体を巡回する予定を
組んで被災したフィルム修復グッズ等を用意し始めて準備。
しかし急遽変更。
「複写連青年部の地元同業社をサポートする積極的な活動」
を見習い、元業者の迷惑とならないよう 「地元同業者の
サポート、対応に変更してゆく」こととしました。



 ・地元の同業者さんの被害状況:
を聞くほどに、また、被災地を視るにあたり、地震、
津波の恐ろしさを感じる。

 ・もし関東で起きたら?:
私は3月11日17:00東京麹町から神楽坂上の本社に徒歩で
帰るまで、今までみたことのないような人の波をかき分けて
会社にたどり着きました。

もし同レベルの震災が関東で起きた時は? 
 「今から準備すべきことは何か・・・・」
 もちろん人命が第一。
 そして生き残った人達の、迅速な復興の為の記録、
その分散管理。   重要性を感じる。


 ● 被災資料 修復援助



28日
被災地の道路:、
廃棄されるゴミの行列である。 
まだまだサポートする人手と時間がかかりそう



28日
資料関係:
被災をうけた資料は、対処が遅れた分、
カビが生えて修復の手間が倍増してしまう修復家曰く
 「被災後に資料を ”縦” に置いていたことは不幸中の幸い」


28日
資料整理:
資料内容を判別できる専門官が、資料を整理
復活を急ぐ


28日
準備作業:
資料の状態、数量、現場では様々な事もおきる
宿において、追加でラベルつくりなどに追われることも・・


28〜29日
修復の専門家 文化財修復の専門家が対処を急ぐ
(撮影後は消毒)




28日
地元の女性修復専門家もサポート。
 (英国への留学や世界を旅する経歴を持つ
   優秀なPeprer Conservator) (左3人目)  
みんなで 昼食 (ハンバーグ)



28〜29日
撮影の専門家 修復の専門家で資料状態を記録





29日
開業している食堂がまだ少ないため、
満員のラーメン屋で並び、やっと満腹に!
「バンザーイ!」
その後、3時間オーバー 援助作業は夜までつづく



30日 修復のプロ と 撮影のプロ、そして次を担う修復家 若手世代 ! 
花巻空港で解散



   被災地



 すべて・・・流される


 電信柱が根元から折れる


 道路のあちこちに亀裂


 流されなかった家
 (周りの家を破壊しながら壁をめくり上げるツナミ)

 ツナミに襲われた街 (野蒜小学校近く)

 急がれる仮設住宅  (仕事付きじゃないと・・・)


                 ● 森松社長の想い: 野蒜小学校近くにて


                ● 森松社長の感想:
                   ・ 命あることの 「ありがたさ」 
                   ・ 命あった証、記録を遺すことの 「すばらしさ」
                   ・ 準備しておくことの 「じゅうようさ」
                   ・ 奪い合うことの 「みにくさ」
                   ・ 思い合い、助け合うことの 「たいせつさ」